感想さえあればという幻想【執筆のモチベを科学する】

エッセイ
この記事はこんな方におすすめ
  • 感想さえあれば小説を書き続けることはできるのか
  • 誰かから褒め続けられればやる気は尽きないと思っている
  • やる気の出どころが外部にしかない
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感想は小説家にとってやる気スイッチなのか

ネタバレすると、外発的動機づけだけでモチベーションを維持するのって限界ありますよねというお話。

カクヨムでとにかく感想がほしい人たちが参加する企画あるじゃないですか。あなたの作品を読ませてください的なヤツとか、お互いに作品を読みあって、感想を交わして研鑽けんさんしあいましょうみたいなヤツ。

もちろん感想を書くこと自体はすごく有意義だと思います。

小説家は感想さえもらえればやる気が出る?

その手の企画の詳細にどうにも気になる一文があって。意訳致しますと、感想をもらってやる気に繋げましょう──みたいな一文。

感想があれば、何かしらの反応があれば、とりあえずやる気が出ますみたいな云い回しだけど──マジで? 

感想をもらったら嬉しいと思うのは至極当然のことで。何もその感情を否定しているつもりはないということをまず解ってほしいです。

外発的動機付けに頼るデメリット

ここで云いたいのは、感想は嬉しいしありがたくもある。

だから、何かしらの反応さえあれば自分はやる気が出るんだ。モチベを維持できるんだって考え方は危うくないかということです。

もっと突っ込んだ云い方をすると(これはもはや執筆に限った話ではないけれど)感想がもらえ続ければ、高評価がもらえ続ければ、フォロワーが増え続ければ、読者が増え続ければ、あなたのやる気は無尽蔵なのかって訊かれたら──イエスとは云いづらくないですか? 

外発的動機付けで出すやる気には限度がある

実際、それでやる気が出る分には一向に構わないと思うのですよ。

ただ、所謂やる気スイッチが他者からの証明という外部にしかないのはつらくないですかというお話でして。

親切が脳のやる気スイッチを入れる

私が感想を書く、Twitterで他薦をしている背景には「ヘルパーズハイ」という目的があって。

人間は他人に親切にすることでやる気が出る。「誰かの役に立った」と実感することで脳にドーパミンが分泌されるようになっています。

ドーパミンとは
  • 別名やる気ホルモン。
  • 人のモチベーション、集中力、記憶力、快楽などに関わっている脳内物質。

脳のやる気スイッチを入れるのにすごい親切は要らない

このとき、何もすっごい親切をする必要はなくて。

自己犠牲にならない程度の親切で、脳が「何だよ自分余裕あるじゃん」と認識して、時間に対する焦りがなくなる気持ちに余裕が生まれて、生産性もアップするという実験結果が出ています。

自己犠牲にならない程度の親切って抽象的過ぎない? 

何をポイントに親切にすれば正しく効果が得られるの?

と思った方におすすめの本がこちら。

実は「親切」とは最強のタイムマネジメントのひとつなのです。

親切=やる気はパーソナリティの話ではない

親切がやる気に繋がるというのは、何も私が優しいとかそういうパーソナリティの問題ではなく、脳の仕組みの話であって。

よほどサイコパス度が高いとか、そういうのでもない限り誰にでも起こり得る現象なのです。

人間は、どうやらそういうふうにできています。

私が他人の作品をそこそこ積極的に宣伝している理由のひとつはそれです。

Twitter登録して間もない頃は長文感想ツイートが多めだったのだけれど、これ「小さな親切」の定義からちょっとずれてるよな、小さくはないよなと気付いて。二言三言の感想に変更しました。

長文感想ツイートに時間を割くうま味って、現時点ではそこまでないよなーと。

まとめ:自分なりの小説家としてのやる気スイッチ

感想や高評価で気分アゲアゲになるのは普通のことだと思います。

それを抑圧しろだなんてことを云いたいわけではありません。他者からの証明に依存する姿勢をディスってるわけでもありません。

ただ、やる気スイッチが外部にしかないのは心もとないから。

自分は何のためにこれを書いてるんだろう、何が自分を物書きという立場に繋ぎとめているんだろう、他者からの証明以外で自分が書くことに意味感(意味があるような感覚)を見出す瞬間ってどんなときだろう。

たとえば──「RTした人の小説読みに行く」っていうハッシュタグ、あれをどういう気持ちでRTするのかですよ。その人に自作を読んでもらって何を得たいと思っているのか。自分の作品を読んでほしいという思いの根幹にあるのは何か

やる気スイッチの入れ方はさまざま

このやる気スイッチはさまざまだと思います。

私みたく小さな親切にそれを見出す人もいれば、物書き同士の交流にそれを見出している人もいると思います。好きな作家の作品を読むとか、単に運動をするであるとか。

スイッチを探す上で、感想をもらえたらどうして嬉しいんだろう、評価されたらどうして嬉しいんだろう、褒められて認められてどこに向かいたいんだろうみたいな。

そういうところから考えてみるのもよいのではないかなーと思います。いささか哲学じみてはいるけれど。どうして嬉しいのかあたりは、科学の領域っぽい気もしますが。

ではまた。

エッセイ
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管理人
kino tadashi

心理学と科学と妖怪学をこよなく愛する物書きの端くれ。
曲がりなりにもwebライティングで収入を得ているので、端くれの自称くらいは許されるだろうという認識でいる。
webライター、ブログ等で生計を立てるべく日々模索中。
WEBライター検定3級・ビジネス事務検定・校正技能検定初級取得済。

ムラサキゴテン

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