生産者側に回っても逃れられるわけじゃない「消費者コンプレックス」の話

エッセイ

どうもこんにちは、キノタダシ(@GtH4uTlfJ5mFvlL)です。

「消費者コンプレックス」なる造語がある。

消費者コンプレックスは、にじさんじ所属のバーチャルライバー卯月コウと卯月軍団(卯月コウのファン名)の見出した概念であり、Wikipediaの「コンプレックス」のページに名を連ねるようなれっきとした心理学・精神医学用語の類ではない。

上記が、「消費者コンプレックス」(恐らく)初出の配信である。

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消費者コンプレックスとは

意味としては、「何か絵を描けるわけでもない、音楽を作れるわけでもない、ただコンテンツを消費しているだけの自分に嫌気がさして、作品を見続けることがつらくなっちゃう現象」を指す──とウヅコウは語る。

オタク的消費行動に勤しんだ憶えのある人なら、少なからず共感する節があるのではないだろうか。

この辺りの感情を言語化するセンスは、流石タニシの水質浄化能力からスイクンを見出す男である。

ちなみに「ウヅコウ」とは卯月コウのファンからの呼び名のひとつだが、私自身はそこまで熱烈なファンではないし、何ならチャンネル登録だってしていないし、今後する予定もない。

ここまで頑なだとそれこそ「卯月軍団の才能あるよ」という論法の餌食になりそうだが、悔しいかな事実なくはないと思う。

上記記事で、私は最近小説の読み書きがしんどいといったニュアンスの心情を吐露した。

人によっては

小説を書くのがしんどくなるのはまあわかるけど、読むのがしんどいってどういうこと?

と思われた方もいるかもしれない。

小説を読むのがしんどい──その一因にあるのが今回取り上げたこの「消費者コンプレックス」なのである。

生産者側に回っても逃れられるわけじゃない消費者コンプレックス

厳密に云えば、今こうしてエッセイを書いているように、私自身は何も生み出していないわけではない。

とはいえ、ならこれを生み出すのに粉骨砕身しているかと問われれば、断じてそんなことはなく。

労せず書けるものを書き、これといって投稿時間も気にせず投稿しているだけである。

こうしたスタンスの物書きがクオリティの高い作品に触れたとき、いかなる感情的反応を起こすのかというとぶっちゃけ読んでいられないのである。

頑張って書かれていることがいやでも伝わってしまう(正確には伝わったような錯覚に陥る)ので。

この人はこんなに頑張ってこれを書いているのに、その間自分は何をしているのだろう

とか考えてしまうので。

作品を読んでいるつもりが、その実作品の向こうに頑張っていない自分の現状を幻視してしまうので。

いやぁ、読むのしんどっ! とかなってしまうのである。

作品の出来に嫉妬しているのではなく、作品の出来上がるプロセスを勝手に妄想してダメージを受けているわけだ

つまるところ、それなりにアウトプットに励んでいる人でも場合によっては、消費者コンプレックスと似たようなメンタルに落ち込んでしまう。

すなわち、「作品を見続けることがつらくなっちゃう」のである。

【私的】消費者コンプレックス対策方法2つ

この派生型消費者コンプレックスに陥らない(or脱け出す)対策は、大きく分けて2つあると私は考えていて。

うちひとつは奇を衒っているように思われるやもしれないが、体調をととのえることである。

消費者コンプレックス対策① 体調をととのえる

先ほど小説を読むのがしんどい理由としてそれらしい事情をつらつらと述べたが、結局人間は脳のリソースから直面するタスクを選択するので。

心身ともにすり減っている状態で、ゼロからの想像力を要求される一次創作は、正直ハードルが高いのである(現に小説の読み書きがしんどくて堪らなかった期間中、私はpixivでデレマスの台詞オンリー二次創作ばかり読んでいた)。

しかも、親しい書き手の小説ともなればなおのこと流し読みをするわけにもいかない。

体調がととのえば、わりとすんなり「このコンディションを活用しないともったいない」という思考に至る。

リソースに余裕がないと、やらない理由にばかり意識が向いてしまうので。

誰かの創作に触れることさえしんどいときは、まず私生活を見直してはどうかと真面目に思う。

消費者コンプレックス対策② 無理して読まない・無理して書かない

もうひとつの対策は、一旦距離を置くこと。

とどのつまり、無理に書きもしないし、読みもしない。

日がな一日、Youtubeで自然の動画を観て過ごすとか、そういう『GUNSLINGER GIRL』のクラエスもびっくりの無為な時間の使い方をする

別にあなたが読み書きをせずとも地球上では他の誰かしらが読み書きをしている。

あなた一人が何をしようとしまいと地球の自転に滞りはないのである。

アウトプットしない人間に価値はないのか

さて、消費者コンプレックスという苦悩に対しては、アウトプットしない人間にも価値はある、アウトプットの有無がその人の価値を決めるわけではない──というフォローが定番だったりする。

が、そのように発信している人たちは、総じて日々アウトプットしている側なので

そりゃあしなくても生きていけると云えるでしょうよとつい斜に構えてしまったりする。

個人的にはアウトプットせずとも生きていけるし、しないことで人として価値が下がるとも思わないが、生み出されるもののクオリティの差はさておきやはり日々アウトプットに勤しんでいる人の方が、凹んだときの立ち直りが早くなるとか、心身ともにメリットはあるので。

人前に公開せずとも良いから頭の整理だと思ってとりあえず何か書いたらいいんでないの──ぐらいに考えている。

たとえば、あなたの書いた作品が誰かにディスられたとして。

しかしディスった側からしたら「まだ俺の方がマシなモノを書く」と思えたことで、捉えようによってはあなたの作品になけなしの自尊心を支えられた──とも云えるかもしれない。

そんな活躍は御免かもしれないが、それでも何かしらの形であなたの創作が求められる、ある役割を果たす瞬間はあり得ると思う。

今回はそんな感じ。ではまた~。

エッセイ
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管理人
kino tadashi

心理学と科学と妖怪学をこよなく愛する物書きの端くれ。
曲がりなりにもwebライティングで収入を得ているので、端くれの自称くらいは許されるだろうという認識でいる。
webライター、ブログ等で生計を立てるべく日々模索中。
WEBライター検定3級・校正技能検定初級取得済。
一応カクヨムgoodレビュワーらしい。

ムラサキゴテン
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