書籍化のメリットとクリエイティブ職の目指すところ

エッセイ
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書籍化のメリットとクリエイティブ職の目指すところ

どうもこんにちは、キノタダシ(@GtH4uTlfJ5mFvlL)です。

「誰かを魅了する何かを生むっていうのは、誰かの”人間らしい部分”を攻略するって作業なの。ここに身を置いていれば、何か楽しいことに出会えるかもしれない。続く二行目には、三行目には──もっとワクワクすることが載っているかもしれない。頭の中をパチンコのハンドルを持っているのとそう変わらない状態に仕立てるの。どんなにロマンティックな主義主張を並べたって、結局クリエイターの目指すところはそこ。一分一秒でも長く、自分の創ったコンテンツの中でぐずぐずしてほしい。本当に大切なことなんか忘れて、私の創った世界に没頭してほしい。一人でも多くの時間を食い潰して、一人でも多くの注意を奪う。クリエイターってのはそういうモンスターなワケ」

『黒ノ都』 姫乃 只紫

拙作『黒ノ都』の「17『Étoile』」にて、とある人物がクリエイティブ職の目指すところをそう表現しているのだけれど、私としてはこれはあくまでクリエイターにとっての通過点であり、到達点ではないよね──などと思っている。

しかし真摯に創作活動を続けている妹にこれを突きつけるってどうなの──と思う人もいるにはいるのだろうけど、私はそもそも「みんなが同じ到達点を目指して競い合っているこの現状ってどうなの」という思春期の物書きらしい悩みを抱えている妹に対して、この視点を提供する行いはむしろやさしいのではないかさえと思っていて。

実際、「#RTした人の小説を読みにいく」経由で自作を読んでほしいとき、私たちって

よければ読んでください!

と頼むじゃないですか。頼むということは、自作をその人が読む=自作がその人の時間を奪うという認識はあるわけで。

自作を面白いと思ってほしい、もっと続きを読んでほしいということは、自作の”魅力”によってその人の人生の一部を食い潰したい──と暗に望んでいるに等しいわけですから

そのあたり皆言語化しないだけで、薄っすら自覚はあるでしょうよと。

クリエイターの到達点は「いかに残すか、いかに残るか」

脱線失礼。

では、クリエイターの目指すところ──通過点ではなく到達点はどこなのかと云うと、「いかに残すか、いかに残るか」に尽きると思うのですよ。

web小説の書籍化をはじめ、何らかの形で世間的に一度評価された作品は、その分生存確率が高まる。

あー、そういえば昔そんな作品あったね

と思い出してくれる人たちの数が、実績のない作品とではあまりに違い過ぎるので。

伊藤若冲はかつて「自分の作品の真価がわかるのは千年後だ」と云ったけれど、それなら千年生き残れない作品は真価を見出されるステージにすら立てないということになる(笑)

この作品で誰かを救いたい、お金持ちになりたい、一躍時の人になりたい、この作品をあの人ただ一人に捧げたい、発端は色々あれ、モノを創る人たちの到達点は超絶シンプル──だからこの作品を延命するにはどうすべきかに繋がるのは面白いなぁと。

延命すればするほど、作品に新たないろが付け加えられて、再評価の機に恵まれる──より長生きできる可能性も高まるわけですから。

私たちが作品にできる“延命措置”

これを踏まえると、自作を削除するというある種の自傷行為って一見「過去の否定」めいているのだけれど、アレはその実「未来の否定」をも含めているのですよね。

極端な話、あなたの死後見ず知らずの誰かがあなたの作品を読むなり見るなり聴くなりして「ええやん」と思う未来をも葬っているわけですから。

だから、自作を消すのが「しんどい」って当たり前っちゃあ当たり前の感性なのですよ。

過去を剥奪しているようで、実際は未来を剥奪しているわけですから。

ところで、作品に新たな意味づけが成されたことで延命した好例として私が思い出すのは、島袋道浩の『人間性回復のチャンス』という作品でして。

阪神大震災の影響で半壊した家屋に「人間性回復のチャンス」と大書した看板を掲げたものなのですが──。件の作品は、国立国際美術館で開催された展覧会「風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」にて展示されることになります。

で、展示されたその写真──使い捨てカメラで撮られたのか、写真の隅に日付が表示されているのですがその日付が一九九五年三月一一日なのですよね。

大震災の起きた一月十七日でもなければ、その一ヶ月後や二ヶ月後のメモリアル・デーでもない。当時これといって特別な意味を持たなかったであろう日付が、今では大きな意味を持ってしまった。

とまあこのようにアートって保存さえされていれば、ある日突然新しい彩を帯びて目の前に現れでることがあり得るんだなぁおもしれーとか、そういう類のお話でした。

この「おもしれー」ってすこぶる大事だと思うのですよ。私はおもしれーと思ったから、このアートの時間の跳躍とも云えるエピソードをこの場で紹介しているわけで、そうしたらまた「おもしれー」と思った誰かが語り継いでくれるやもしれないじゃないですか。

誰かの創ったモノって、きっとこうした処置の積み重ねで延命してゆくのですよ

今回はそんな感じ。「おもしれー」と思った方はぜひ記事のシェアをお忘れなく(笑)

ではまた~。

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管理人
kino tadashi

心理学と科学と妖怪学をこよなく愛する物書きの端くれ。
曲がりなりにもwebライティングで収入を得ているので、端くれの自称くらいは許されるだろうという認識でいる。
webライター、ブログ等で生計を立てるべく日々模索中。
WEBライター検定3級・校正技能検定初級取得済。
一応カクヨムgoodレビュワーらしい。

ムラサキゴテン
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