小説にもらった講評でブチ切れているあなたへ【カクヨム自主企画】

エッセイ
この記事はこんな方におすすめ
  • 自作にもらった講評を読んでブチ切れた憶えがある
  • なんなら今ブチ切れてますが何か?
  • 自主企画で講評書いたらブチ切れられたんだけど、コレって私が悪いの?

結論から云うと、まずブチ切れているあなたはそれがあなたの選んだ道なので甘んじて受け入れましょう

ブチ切れられたあなたはもしかしたらあなたの講評に神経を無駄に逆なでする的な意味で落ち度があったのやもしれないけれど、正直そこまで重く受け止める必要はないです

スポンサーリンク

小説にもらった講評でブチ切れているあなたへ【カクヨム自主企画】

辰井・柴犬講評広場

面白いなぁ──と思って読んでいるのだけれど。

必ずと云っていいほど、自ら講評企画に参加しておきながらもらった講評に対してキレ散らかす人いるじゃないですか(笑)

ね、講評企画に参加した時点で100%肯定的な意見がくるわけないじゃないですか。

いや、逆に100%くるだろうと思って参加されたなら、それはそれでその図太さに舌を大車輪させる(舌を巻くの最上級。固唾を呑むに対する固唾がぶ吞みみたいなモン)ばかりなのですが。

小説家になったら”講評”から逃れることはできない

私、過去に某出版社さんから3度講評を頂戴したことがありまして、「どこどこを直したら?」というよりは「こういうエピソードを追加したらもっとリアリティが増すんじゃない? 読み応えが増すんじゃない?」みたいなアドバイスが中心──というかそういうのしかなかったのだけれど、今回講評の中身は重要ではないので割愛するとして。

その頂いた講評に目を通したとき、似てるなーと。

何に似ているかと云いますと私副業でwebライティングをやっておる身なのですが、当然クライアント側から修正を依頼されることってあるわけですよ。「もっとフランクな感じで書けませんか?」とか「一段落目にはこれこれこういう情報を書いて、二段目三段目にはこういう情報をお願いします」とかね?

つまり、何が云いたいかというと講評に対してキレ散らかしがちな人、作家という職業を神格化し過ぎてはいないかと思うところがありまして。

文章で稼ごうという枠内にいる以上、どんな立場に身を置いても「これこれこうしてくださいね」とか「もっとこここうしたらどうですか?」とかから完全に逃れることって不可能だと思うのですよ。

小説に講評を書いたらブチ切れられたあなたへ

暗に「講評でディスられたくらいでキレるな」と云いたいことはわかったけれど、ブチ切れられた側の結論が「そこまで重く受け止める必要はない」なのはどういうことなの?

小説の講評とロサダ比

自主企画を通じて講評を書く目的は人によってさまざまでしょうが、自己成長のほか「これを機に自分と自作に興味を持ったもらえたら」「より関係を深めることができたら」と考える方も少なからずいるのではないかと思います。

良好な人間関係を築く上で参考となる比率がございまして、これをロサダ比と云います。

友人であれ、家族であれ、恋人であれ。人間付き合っていると、相手に対してポジティブなことばかりを云っていられません。ネガティブなことだって云わざるを得ないシーンはあります。

じゃあ、良い関係を維持する上でどれくらいの比率を保ちながら、ポジティブなこととネガティブなことを伝えていったらいいの? という疑問に一つの目安を示してくれるのが、このロサダ比なのです。

ネガティブ:1に対してポジティブ:3

良い友人関係を保ちたい場合、その比率は「ネガティブ:1に対してポジティブ:3」であると云われております。

つまり、相手のネガティブな部分をひとつ指摘する際は、3つ相手のポジティブな部分を評価する発言をしないと関係悪化するリスクが高まりますよーということですね。

ちなみにこれが恋人や夫婦関係になると、1:5が最適と云われております。ネガティブなことひとつにつき、ポジティブなことを5つ投げかけましょうということです。

ロサダ比に関してはメンタリストDaiGoさんがこちらの動画で触れておりますので、ご興味のある方はどうぞ。

男女関係を保つ6つのルール〜恋人・夫婦必見の心理学

ん? 

要するに講評するときもこのロサダ比を意識して「やさしい講評」を書けと?

と思うじゃん? ところがどっこい私が云いたいのはそういうことじゃあないのですよ。

好かれようと思って講評を書く必要はない!

結論から申し上げますと、好かれようという目的で講評の中身を忖度する必要は一切ございません

じゃあ、お前何故にロサダ比紹介したし──はい、理由を述べますととどのつまりネガティブ1個を投げかけたくらいでブチ切れてくる相手とは良好な関係作りようがないからです。

さらに云えば、ポジティブ3つとネガティブひとつをセットにしてブチ切れるような相手なら、もはや気に留める必要はないかと。

ロサダ比は見方を変えると、面倒な相手の選別ツールとして役立つわけです。

自分の講評に何か落ち度があったのかも──と反省する分には良いのだけれど、過度に気にする必要はないと結論付けたのはすなわちこういうことです。

相手に気に入ってもらえたかどうかを反省の基準とする必要はありません。

講評ではなく好かれる「感想」を書きたい方はこちら

余談。

恋愛関係で「いい人止まり」と呼ばれる人がいますが、その人の割合は「ネガティブ:1に対してポジティブ:13」と云われております。

結局、云いたいことを云わないからナメられちゃうわけですね~

まとめ:講評企画は”疑似体験”として最適だ!

以上の点から、私は講評企画って疑似体験としてすごく有益だなーと考えていて。

仮にこれを読んでいるあなたがプロの小説家になったとするじゃないですか? そしたら今度は講評企画なるものに参加していないにもかかわらず、講評がやってくるんですよ。特段望みもしない講評が(笑)

SNSやYoutubeであれやこれやと云われるのですよ(まあ、これに関しては云われる方が遥かにマシなのですが。でなければプロデビューした意味がない)

この辺りの”悪評”を巧いこと宣伝に結びつけたのが「なろう系」なのです

この手の企画って、もし自分がプロデビューしたとき体験するであろう”状況”の一端を疑似体験させてくれる──という意味でとても貴重なのですよ。

だから、ぶっちゃけ講評の内容がお気に召さなければキレ散らかしてもいい。あなたのためにもキレない方が間違いなくベターなのだけれど、そこで「キレるな!」というのが今回の主旨ではないから。

ただ、念押しますけど、キレた先に戦略がないのであればキレない方がいい

で、講評の中にあなたの予期せぬネガティブワードがあったとして、それを見てイラッとしたり、凹んだりしたのであれば、そこですかさず一歩引いて「ああ、こういう感覚を覚えるものなんだな」というのを味わってほしい。

偶にね、「素人からの講評に一体何の意味があるの?」みたく斜に構える人見かけますけど(講評企画主催者の中に実はこういう苦悩を抱えている人がいるかもわからんけど)、そういう人にこそ伝わってほしい。カクヨムの講評企画とはこういうためにあるのですよ。

ではまた!

エッセイ
スポンサーリンク
管理人
kino tadashi

心理学と科学と妖怪学をこよなく愛する物書きの端くれ。
曲がりなりにもwebライティングで収入を得ているので、端くれの自称くらいは許されるだろうという認識でいる。
webライター、ブログ等で生計を立てるべく日々模索中。
WEBライター検定3級・ビジネス事務検定・校正技能検定初級取得済。

ムラサキゴテン
タイトルとURLをコピーしました