- 小説を書くのが孤独で辛い
- 読者0人の無価値で無意味な創作の日々を送っている
どうもこんにちは、キノタダシ(@GtH4uTlfJ5mFvlL)です。
小説なんてものを嬉々として(あるいは鬱屈として)書いているうちは、真の意味で孤独になるなんて難しいのではないかと思う今日この頃です。
小説を書くのが孤独で辛いというあなたへ

下記記事で「虚構を描くという孤独な行いは、そう易々とあなたをひとりにはしてくれない」と書いたのですが──。
書いているうちは孤独を気取っていても、いざ書き終わると「誰かに読んでほしい」と思うのが大半の物書きの性じゃないですか。

オレはこの虚構の世界で生きていくんだー
孤高を貫いていくんだー
と意気込んでいてもふとした拍子にすっと明かりが差すというか、
- 「感想がほしい」
- 「この気持ちを誰かと共有したい」
とか、他者との交流を求めてしまうじゃあないですか。
内なる虚構を描くという孤独な行いが、しかしあなたをひとりにはしない、「もっと外の世界と関わりを持て」というある種防衛システム的な働きを見せるのは面白いよねーくらいのニュアンスで書いたわけです。
とはいえ──大半と書いた通り物書き皆が皆そうではなくて。
作品を仕上げたところで別段「誰かに読んでほしい」とか、他者からの反応を求めない、場合によっては(それが作品に対するお褒めの言葉であれ耳に痛い言葉であれ)拒む人だって中にはいる。
ただ、そうした人でも虚構の描出が生む力というか、アウトプットがもたらす心理的なメリットから完全に逃れるって無理じゃね? とは私は思っていて。
たとえば、「誰かに読んでほしい」とは思わないタイプの人でも仕上げたら仕上げたで、
- もっと良いものが書きたいから本屋や図書館に行って勉強しよう
- 頭がスッキリしたからちょっと散歩に行こう
- 今晩のおかず一品増やそう
エトセトラエトセトラ。
すなわち、どうあがいても外の世界と接点を持つ方へ向かざるを得ないと思うのですよ。
たとえ、特別読まれることを欲していないタイプの物書きだったとしても。
小説を喜んで書いているうちは本当の意味で孤独になんてなれない
だから──小説なんてものを嬉々として(あるいは鬱屈として)書いているうちは、真の意味で孤独になるなんて難しいのではないかという冒頭に至る。
「小説を書いているあなたはひとりじゃない」というより、「小説なんてものを書いているうち、ひとりになれるなどと思うな」みたいな。
それゆえの「そう易々とあなたをひとりにはしてくれない」なのですよ。
そう考えると、情操教育の一環でよく
- あの雲は何に見える?
- あの星は何に見える?
とか、子どもに質問したりするじゃないですか。
あれって雲やら星やらそれ単体ではあって当たり前、風景と化しているものに自分なりの意味──“物語”を与えることで「世界はあなたの意味づけ次第で変わる、もっと世界に関心を持て」と教えているんだなーなどと思ってみたり(この辺りは精神科医である名越康文氏の受け売りでもある)。
名越先生のゲームさんぽ、ゲームタイトル問わずどれも興味深いので気になる人はぜひ(個人的には『ライフ イズ ストレンジ2』と『リトルナイトメア』シリーズがおすすめ)
読者0人の孤独の果てに見ていた(かもしれない)もの

私は小中高と自分以外読者のいないマンガや小説を吐き出し続ける──という謎のスパルタ創作活動に執着していたのだけれど、あれとて今思い返せば未来の自分に向けて書いていたのかもしれないなぁと。
現にいい年した私が今でも偶に読み返しているので。
だから、当時の私は孤高ここに極まれりというか、創作者のあるべき姿はこれ! みたいな歪な信仰のもとそれを続けていたように思うのだけれど──心のどこかで未来の自分をもう一人の読者として想定していたのかもしれんなぁなどと何やらロマンチックな夢想に走ってみたり。
これ自体が先に触れた物語の付与なのかもしれんね。
誰一人読者のいなかった創作の日々は一見すると無価値で無意味だったけれど、未来の自分をいかすために書いたのだと思えば成程悪くはなかったなと。
これを書いていて、最近空を見上げたことはあっても雲やら星やらをぼんやり眺めたことってないなと気づいた。
『デジタル・ミニマリスト』によれば
リンカーンが戦時の大統領という重大で難しい職務をりっぱに果たすことができたのは、一人きりで思索にふける時間を確保したから
カル・ニューポート著『デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する』
ではないかと、「一人きりで過ごす時間」の大切さが語られていたので。
私自身に国家を救う予定はありませんが、偶には雲やら星やらをぼんやり眺めてみたいと思います(ちな海にはまだ行けていない)。
さて、「孤独はタバコと同じくらい死亡率を上げる」というデータがあるくらいには、心身にとって害悪とされる「孤独」ですが、かのジョン・レノンはこんな言葉をのこしております。
君が独りの時、本当に独りの時、誰もができなかったことをなしとげるんだ。
だから、しっかりしろ。
結局、ひとりのときでなければ、人間物事を深く考えることも、絵を描くことも、小説を書くこともできませんからね。
共同制作にしたって、まずはそれぞれひとりでアイデアを練ってから持ち寄るのが普通です。

クリエイティブな趣味とは、人生の孤独という穴を埋めるために存在しているのかもしれない
クリエイティブつながりで、こんな記事もあります。
創造性の高いあの人に寄り添いたいあなたへ。
今回はそんな感じ。ではまた~。