あの夏の在り処 『棗の実がなるとき』

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【作品情報】

『棗の実がなるとき』 作者 Askew

【紹介文】

 ある日、僕は空気になった。

 朦朧とした境内で、揺れる階段を眺める日々。

「ねぇ、キミこんなところでなにしてるの?」

 凛とした声が僕に輪郭を与えた。

 夏の日に、少女は秘密を持ってやってくる。

 棗の実がなるとき、僕は与えられた輪郭を失った――。

本体は上記リンク先の「作品」であり、当ブログはあくまでオマケです。

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【作品の感想】

「もうじき夏も終わるなぁ」と思った折、ふと読み返したくなったのです。

八月の末とはいえ、まだまだ暑さ厳しい頃合いですから。夏を舞台とした件の作品に、また新たな発見があるのではないかと。そんなふうに思いまして。

ちゃんとした人間でなかった”僕”は、何もそこに縛られていたわけではないのです。他に居場所を知らなかったと云いましょうか、動く気力も湧かなかったと云いましょうか、そこを後にする意味を見出せなかったと云いましょうか。

動いたところで、一体何になるというのか。

どうせ、逆しまになったあの世界で、彼の手を取り直せるわけでもあるまいし。

そんな──如何に云い繕うと心地良いとは呼べぬその場所が、彼女との出逢いによって”輪郭を与えられた場所”として塗り替えられる。新たな色彩が加わる。

忘れられない、夏が始まる。

ところで──皆様は小春日和という言葉をご存じでしょうか? 

はい、晩秋から初冬の暖かな日和を指す、その意味を初めて知った十人中十人が「いや、春の季語じゃないんかい」とツッコまざるを得ない、あの小春日和にございます。

あれは、文字通り小さな春を指しておるわけでして──。

とどのつまり、秋の中にも冬の中にも、そして恐らくは夏の中にも、小さな春はひそんでいるのでございます。

春が終わって夏が来る、夏が終わって秋が来る──ではないのです。季節ごとに途切れたりはしないのです。

──首元の白いうなじには大粒の汗が光っていた。

今ひとたび、二人で泣いたあの夏に帰ろう。

四季は繋がり、移ろうものなのですから。それぞれが終わりを迎えはしないのですから。

あなたのなくしてしまったあの夏も、きっとこの夏の何処かにあるのでしょう。

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管理人
kino tadashi

心理学と科学と妖怪学をこよなく愛する物書きの端くれ。
曲がりなりにもwebライティングで収入を得ているので、端くれの自称くらいは許されるだろうという認識でいる。
webライター、ブログ等で生計を立てるべく日々模索中。
WEBライター検定3級・ビジネス事務検定・校正技能検定初級取得済。

ムラサキゴテン

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