【作品情報】
『君を死なせないための一千字』 作者 辰井圭斗
【紹介文】
ウェブ作家牧伸太郎は現代ドラマを書いたウェブ小説の中で主人公黒崎啓一を自殺させた。その小説の完結後、牧伸太郎の家を一人の人物が訪ねる。それは小説のキャラクターであるはずの黒崎啓一であった。すぐに親しくなる牧と黒崎。しかし、牧は黒崎が小説通りの行動をしていることに気が付く。このままでは彼が自殺する。牧は慌てて小説を書き直そうとするのだが――?
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【作品の感想】
もし明日死ぬとしたら自作消すか消さないか問題っていうのをときどき考えるわけでして。
この場合、そもそも何故死ぬのかにもよるのですが。
たとえば「明日死ぬ」と云っても「太陽は死んだ‼ 地球上のあらゆる生物は酸素不足に苦しみ、気温は日増しに下がり、動植物は皆死に絶える。人類とてその例外ではない。人類は──絶滅するッ‼」とかいう流れだったら十中八九自作消さないじゃないですか。
「うーん、消そっかなー。消さないでおこっかなー」とか悩んでる余裕そもそもないじゃないですか。
なので、非常にざくっとではあるのだけれど、たとえばもう生きているのも厭だ、人生八方塞がりデッドエンドだ、あるいはそこまで過度なストレスに晒されていなかったとして、ただ漠然と何だかもう生きていたくねぇなぁ──というふわふわ動機でもいいのだけれど、とりあえずメンタル由来のそれらを死に至る理由として。
自作を消すって行為について、思うところは人によってさまざまだと思う。
たとえば死後自分がこんなものを書いていたと周りに知られたくないとか、自作を人生の汚点であると捉えていたら死ぬ前に消すかもしれない。
一方でこれは傑作だって──そこまで過大な評価でなくともまあ駄作ではないよね、心血それなりに注いだし、人生を振り返ったときに気分よく受け容れられるもののひとつではあるよねって、そう自分の中で捉えられていたとしたら消さないかもしれない。
とはいえ、好意的に解釈できているから消さない──とも限らないわけで。
「私と一緒に死んでくれ」みたいな。
私が創ったものなのだから、私と共に終わりを迎えてくれみたいな。
そういう心中に似た境地。ひとつの美的感覚として自作と共に消えてなくなりたいというその心境を何やら耽美と云うか、純度高そうって思う気持ちもなくはない。
ただ、「心中」と捉えてしまうとなおのこと「消さなくてよくね?」ってなってしまう。
自作とはいえ、アウトプットした時点でそれはもう自分から”ある程度”切り離された存在なので。その存在価値を多少なりとも認めているのであれば「私はもうこれまでだが、お前は生きろ」って意味で自作消さないって選択肢も取りそうではある。
で、現時点だと多分私は自作消さない派。
創り出した時点で、それはもう過去の私が創ったものじゃない?
だから──と安直に繋げていいものどうかは迷うけど。だから、私なんぞに巻き込まれてお亡くなりになるのは厭だろうなって、消さずに生かすのではないかなぁと思う。
作中において、黒崎はこれまでの小説とこれからの小説を殺す痛みと惜しさに包丁を置くのだけれど、結局のところ彼は牧の創ったキャラクターでしかない。物語が終われば姿を消す。
だから、この作品が幕を閉じたあと、牧がもう一度何かしらに思い悩んで「自殺するしかない」という結論に至ったとしたら、そのときこそもう本当のお終いかもしれない。
それでも、黒崎の介入は結果として牧の気持ちを死なない方向へと向かわせたので──。
何もキャラクターとして現実世界に現れなくたって、自分のこれまで創り出したものとこれから創り出すものが自分を生に繋ぎ止める瞬間ってまま(必ずとは云わない)あるのではないかなと思う。
この”連鎖”は、書き続けている限りきっと終わらないのだと信じている。
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